日本語 | Français
スイス四季暦・春夏 スイス四季暦・秋冬

『スイス四季暦』上下。1994年、東京書籍刊。

「スイスの自然はまことに美しい。戦後の東京に生まれ育った私は、日本の文学にうたわれ、描かれてきた自然の情景や風物の多くを ― いわばしる垂水(たるみ)も、もえいずる早蕨(さわらび)も、沢の蛍も、鴫(しぎ)たつ沢も ― みなスイスに来てからこの眼にしたのだった。東京にいたころの私は、ほととぎすの声さえ知らなかった。しかし、四季暦にスイスの観光案内をかねた文章を期待されるなら、私はその任ではないと思った。実を言うと、私はスイスのことはほとんど何も知らないのである。私はスイスの特別な愛好家でもないし、スイスという国の専門的な研究者でもない。私がスイスに移住するようになったいきさつは、いわば運命のいたずらとでもいうような、ほんの偶然の、家庭の事情で、観光にしろ、歴史や文化にしろ、スイスという国に特別な興味を持ったことは一度もなかったのである。・・・(中略)・・・衆知のように西洋というのは個人主義の徹底したところであり、彼らの孤独は日本人の私などがうかがいしれぬほど深い。その深い孤独から、彼らの優しさも心の触れ合いも生まれる。スイスはことにその閉鎖的なクセノホビー(外国人嫌い)で名高い国である。しかし、私は私の長いような短いようなスイス生活において、外国人あるいは日本人ゆえに受けたという不愉快な経験は、ほとんど一度もないと言っていい。私はビジネスと言うことを知らないから、人に競争心を持たれることも、色恋以外の感情で人から憎まれることも、まずないのである。・・・(中略)・・・彼らにとって、私はいわゆる一人の外国人=旅人である。日本という遠い憧れの国から来た孤独な旅人くらい、彼ら彼女らの孤独の恰好な聴き手はいなかったにちがいない。・・・・」『スイス四季暦・春夏編』あとがきより。