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本物の人生に踏み出す以前に、自分の空想する物語の世界に遊ぶことが好きなような(今の言葉で言うと“オタク”というのかも知れない?)少年の常で、わたしも思春期を迎える頃から、小説や詩(短歌)を読んだり創ったりすることのほうが、外へ出て友人と遊ぶより楽しいような少年だった。三島も谷崎も川端も一番多く読んだのは高校生の頃である。

大学に入ると当時「三田文学」で編集長をしておられた遠藤周作先生に知遇を得て、「三田文学」に初めて書いた小説を掲載してもらった。毎日新聞の文芸時評に写真入りで中村慎一郎氏が取り上げてくれて、びっくりしたのを覚えている。それから「新潮」の編集部に入りたての前田速夫氏(後に「新潮」編集長)から連絡を貰い、幾度も幾度も書き直しを命ぜられた末、当時新宿区の矢来町にあった「新潮倶楽部」とかいう仕舞屋にカンヅメにされた。そこには元の新潮社の社長の愛人たったというちょっと色っぽいオバサンがいて、世話をしてくれたが、「この部屋ではノーベル文学賞作家も書いたのですよ」なんて言われて、またびっくりした。そして「海棠の眠れる」という小説を完成させ、次の月の「新潮」の「新鋭作家特集」というのに掲載して貰った。その月の「新潮」には5,6人の“新鋭作家”が作品を発表していたと思うが、わたし以外はその後みなプロの作家として世の中に出て現在でも活躍している。わたしはその翌年日本を発ってカリフォルニアに留学した。

往事茫々。みんな、今はむかしの、夢のまた夢である。

わたしの本当の人生は、海外に出てからはじめて始まったように、今想う。

わたしは長い間異国での自分の実人生に忙しく、物語を読むことも書くこともなおざりなような生活を送ってきた。わたしの書くものなどより、わたしの人生の方がずっとドラマティックだし面白かったのである!住んだ土地だけでも、オークランド、サンフランシスコ、東京、バーゼル、パリ、そしてジュネーヴと短い期間にめまぐるしく移り変わった。わたしはその間文学とは無縁な生活を送って来たのだった。そして実人生で最早劇的な変化も、身を焦がすような恋愛もなくなりはじめたころから、つまり実人生がわびしくつまらないものになってから、再び小説や戯曲を書くようになっていた。ちょうどその頃、かつて遠藤周作門下生(?)だった頃の朋友加藤宗哉氏が、「三田文学」の編集長になり、わたしにものを書くよう奨めてくれ、書いたものをときどき「三田文学」に掲載してくれるようになった。わたしはずいぶん彼に励まされ、少しづつ書く楽しみを取り戻してきたのである。持つべきものは“恋人”ではなく、“友”であると、最近つくづく思うようになった!!!